震災遺構の保存 記憶の伝承に生かせるのなら

 骨組みだけとなったビル、陸に乗り上げた大型漁船――。東日本大震災の被災地には今なお津波の痕跡が生々しい。

 震災の惨状を伝える遺構を保存するか、解体撤去するか、自治体にとっては極めて難しい問題である。

 宮城県南三陸町では、多くの町職員らが亡くなった防災対策庁舎の保存の賛否を巡り、調整がついていない。岩手県大槌町でも、町長らが濁流にのみ込まれて犠牲となった町役場旧庁舎の保存で住民の意見が割れている。

 現場で肉親を奪われた遺族からは「震災を思い出すので見るのもつらい」と強く撤去を求める声が上がっている。その痛切な思いは重く受け止めるべきだろう。

 無残な姿の建物が街の中に残っていたのでは、復興の妨げとなるとの声もある。

 一方で、被災の記憶を風化させないために、遺構を保存すべきだという意見も根強い。遺族の中には当初、解体を求めながら、時間が経過する中で「悲劇を繰り返さないためにも保存することが必要だ」と考え直した人もいる。

 遺構の保存の是非について、記憶の伝承、防災、慰霊、将来の街づくりなど、様々な角度から地域で議論を尽くすべきである。維持管理には、自治体に多大の財政負担がかかる点も、十分に考慮しなければならない。

 宮城県は震災遺構に対する県の基本的な考え方を取りまとめ、関係市町に通知した。自治体の財政規模に見合った保存のあり方を検討するよう求めている。

 さらに、防災教育の拠点とするなど活用方針が決まっていて、安全性確保のための補修が可能、しかも復興の妨げとならない、といった保存の目安を挙げている。妥当な内容と言えよう。

 遺構の一部を博物館などに移設する方法もある。解体する前に写真やデータに残し、保存する方策も考えていい。

 岩手県陸前高田市では、津波に耐えながらも枯死した「奇跡の一本松」の復元作業が近く完了する。幹の中をくりぬいてカーボン製の芯を入れるなど工夫し、復興のシンボルとしてよみがえった。

 「奇跡の一本松」の周辺は復興祈念公園として整備を進め、将来の街づくりに生かす計画だ。公園への来訪者が増えれば、町の活性化にもつながるだろう。

 様々なアイデアを生かし、津波被害の記録を残してほしい。学術研究を経て得られた教訓を後世に伝えていく方法も考えたい。