2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

性の関わりとしての日本文化

もともと、セックスには、三つの側面があると考えられる。その一つには生殖を目的とするもので、他の一つは人間的なつながり、愛などを表現するのであり、そして後の一つは快楽を手段とした、遊びまたは文化として存在している。男女のつながりを考えた場合…

楽しみがある男女は美しく見える

詩や音楽が精神的な化粧品であるように、性もまた精神的な化粧品であると思われる。楽しいセックスができるということは、ダンスや歌がうまかったり、絵に秀れていたり、演技がうまかったりするのと同じようにその人の教養であり、才能でもある。

魂のハイウェイ

「いく」という言葉は、結びあい、和合しあっている二人の密着した肉体の中にも、「魂のハイウェイ」のような長い道のりが存在していることを物語っている。

愛しあう事ほど尊きものなし

性生活は、それ自体が何かの目的になるものではなく、手段であり状態である。それは愛する方法であり、二人の人間関係の表現形態であったりする。だから「愛しあう事」ひとつとっても、意義があるのである。

演出の楽しみも兼ねての出会い

性行為は演出され、時には音楽や詩、ときには虚構によって彩られ、それ自体が楽しみであり、消費であり、出会いであるのです。

性の問題

かつて「性」が人の口に乗ることがタブーだった頃、性は男女にとっての「荒野」として存在していた。そして、そこだけが理性によらぬ「二人だけの、煩悶の解決法」であった。しかし、今ではこの荒野も文化のトラクターですっかり平らかにされてしまい、人は…

愛の順応

愛が深まりすぎると、セックスは純化され、余剰なイメージは生まれにくくなり、生活面での関係の深化とは逆に、セックス面では倦怠が支配する。

ブルースが心に沁みる

一つ一つの曲が聞き手の記憶と馴れ合って世界を作り出してゆく。大体、日付のある表現というのはみんなそうだ。その時俺はどこにいて何をしていたかというアリバイを伴奏しているんだ。歌はみんなブルースに聞こえるよ。要はメロディとハーモニーが心に響く…

道を定めるのは、時と場合によって

悪口をいわれないようなつまらぬ奴にだけはなりたくない。という思いが自分にはある。もちろん、現代にあって、人に悪口をいわれないような人は、無能な人であろう。という想いが根底にあるから。だから、人間っていうのは面白い。

ああ、荒野

「わかれ道」を通るためには、人は誰でも選ばねばならない。

愛を受けとめて

悲しみはいつも外から見送っていたい。だって涙は人が持っている一番透明な宝石だから。

言葉の錯覚が誤解を招くこともある

今や標準語は政治を語る言葉に発展し、人生を語る言葉は方言しかなくなってしまった。という思い込みとかが人には多いにある。

スラングは言葉のアウトロー

市民権を与えられないスラング、ギャングスターの陰語は、言葉のアウトローである。

言葉のイントネーション

何かを表す為に用いられる言語は、何かを隠すためにも用いられる。

光と影

一字に光と影があるように、一行にも何通りかの光と影がある。

言葉の持つ重さ

一体、文学は本の中に挟み込まれているだけなのか?と自問自答することがある。それだけ言葉には重さがある証拠なのだろう。

言葉のアクセント

文字は読み返し聞くことができるが、それも言葉によってである。第一、言葉はアクセントやイントネーションがあるが、時に文字は表現主義者が詩人でもない限り、その大小や意味さえないように聞こえる。

言語による桎梏からの解放

人は言語によってしか自由になることができない。どんな桎梏からの解放も言語化されない限りは、ただの「開放感」であるにとどまっているのだろう。

ドラマの美しさ

人は誰でも、一つの言葉、一つの名の記録のために、さすらい続けてゆく動物であり、それゆえドラマでもっとも美しいのは、人が自分の名を名乗る時ではないか。

言葉の思想

人類は言葉と出会った時から、思想家である。

青春の名言

旅路の途中で自分がたった一人だということに気がついた。そして、言葉を友人にたとえて懐かしさが溢れ出た。