社会保障の改革―負担に口をつぐむな

 どの党が政権を握ろうと、団塊の世代を核とする人口高齢化の大波は、確実にくる。

 この総選挙では、二つの評価軸が必要だ。

 ひとつは「将来世代に恥ずかしくないか」である。今の世代への給付ばかりを語り、それに見合った負担を求めないのは無責任だ。

 もうひとつは「高齢世代が、安心して最期を迎えられるか」である。

■特効薬は存在しない

 前回の総選挙では、民主党が年金と高齢者医療の改革を掲げて勝利した。

 しかし、どちらも法案の国会提出すらできなかった。

 年金で民主党が掲げたのは、最低保障年金だった。新たな負担なしに、だれでも、すぐに月額7万円以上受け取れるかのような幻想を振りまいた。

 今年、ようやく簡単な財政試算が出た。多くの人の年金額が減り、今の無年金・低年金は解消せず、追加の消費増税が必要なことが明らかになった。

 「うば捨て山」と批判された後期高齢者医療制度の改革はどうか。08年4月の制度スタート時に起きた混乱をふまえ、民主党は廃止を約束した。

 こちらは2年前、厚生労働省を動かして制度案をつくった。看板の掛け替えに過ぎなかったが、それでも実現しなかった。

 運営を担うとされた都道府県が負担増を恐れ、ノーを突きつけたのに対し、民主党政権は説得や調整ができなかった。

 魔法の特効薬は存在しない――。それが、この3年間の教訓である。

 年金や医療で目新しい政策を掲げ、「抜本改革」を約束する政党は今後も出てくるだろう。私たち有権者は、同じ過ちを繰り返してはならない。

■将来世代のために

 特効薬がなければ、地道に体質改善を進めるしかない。

 いま、私たちが使う社会保障費のうち、赤字国債でまかなう約12兆円分は将来世代へのツケ回しになる。

 このままでは恥ずかしい。消費増税で、この部分を穴埋めするのは当然である。社説でも、民主、自民、公明3党が今の世代に痛みを伴う政策で合意したことを評価してきた。

 だが、足元の動きをみると、不安がつのる。

 物価が下がっているのに据え置かれた年金額を、本来の水準に戻す措置は公明党の反対もあり、まる1年先送りされた。

 さらに、現役世代の減少などを反映して年金額を抑える仕組みも、物価の下落によって発動できず、ここでも年金額は高止まりしている。

 年金制度は、世代から世代へお金を受け渡すための「財布」だ。今の受給者が使いすぎた分は、将来世代が受け取る額の減少につながる。

 「100年安心」とうたって今の制度にしたのは、自公政権だ。ところが、両党の公約には制度が予定通りに機能していない現状への対応策がない。

 あるのは「持続可能な年金制度にする」(自民)というあいまいな表現や、「最低保障機能の強化」(公明)というアメだけである。

 高齢者の医療も同様だ。自公政権の08年度から、70〜74歳の窓口負担は、現役並みの収入がある人を除いて2割になった。だが、特例で1割に据え置いており、年間2千億円の税金がかかっている。

 これを法律通りに引き上げるのかどうか。両党とも口をつぐんでいる。もし、その理由が「社会保障制度改革国民会議で議論する」というのなら、単なる不人気政策の先送りだろう。

■安心できる最期へ

 もうひとつの評価軸である「安心して、地域で最期を迎えられる展望が示せるか」は、団塊世代有権者にとっても切実なテーマのはずだ。

 2025年に、この世代は全員が後期高齢者(75歳以上)の仲間入りをする。
 認知症高齢者は現在の1.5倍に増え、470万人になる。自分がそうなった場合、適切なケアを受けながら、住みなれた地域で暮らせるだろうか。

 単純に推計すると、75歳以上が使う医療費は、10年度の12.5兆円から30年度は20.6兆円に増える。終末期を医療機関に依存するのは限界があり、また望ましくもない。

 治療に集中する病院と、在宅での生活を支える診療所や介護事業者との役割分担と連携を進め、効率化する必要がある。看護師や介護職員の大幅な増員が不可欠だろう。

 その具体的なイメージを示して、実現に向けて規制緩和や制度改革を進める。必要な費用についても、ごまかさず説明することを各党に求めたい。

 各政党は選挙の度に、サービスや給付の充実を競う一方、負担には口をつぐんできた。

 今回も、すでにその色合いが濃い。厳しくチェックしていかなければならない。