東電経営方針―けじめあっての支援だ

 東京電力が新たな経営方針を発表し、政府に追加支援の検討を求めた。

 福島第一原発の事故に伴う除染や廃炉の費用が「一企業の努力では到底対応できない」規模となる見通しだからだ。

 現在の計画は、国が必要な資金を出すが、あくまで東電に返済させる建前となっている。国民負担を避けたい政府と、企業存続を願う旧東電経営陣の妥協の産物だった。

 経営陣を入れ替え、社外取締役の目で再検討してみたら、やはり無理筋であることが明らかになった、というわけだ。

 このままでは、延々と債務の返済に追われるだけの企業となる。利益を確保するため、地域独占の解消や競争環境の整備にも後ろ向きになる。日本経済にとって大きなマイナスだ。賠償や除染も遅れかねない。

 そうした新経営陣の危惧は、私たちも共有する。

 原子力の推進は国策だった。東電に責任を押しつけて逃げるのではなく、除染や廃炉から放射性廃棄物の処理策まで、国が主導して枠組みを整えなければならない。

 費用について、どこまでを東電の責任範囲とするか、早急に議論をし直すべきだ。そのうえで足りない分は国民で広く負担するしかない。

 ただし、それはあくまで被害者の支援と電力の安定供給のためだ。

 東電経営陣は今後のあるべき姿として「世界とわたりあうダイナミックな電気事業者への変貌(へんぼう)」を掲げたが、国費による支援は「強い東電」を再生するためではない。

 むしろ、多様なエネルギー事業者が平等に競える環境づくりへと、東電のもつ機能を分散していく方向で改革を進める必要がある。

 東電は経営改革案に、発電部門と送配電部門の分社化を盛り込んだほか、火力発電でまかなう電力のうち3割分は他社からの購入や共同開発に切り替える方針を明らかにした。

 政府の電力改革を先取りする形であり、方向性としては評価する。

 だが、そこにとどまる限り、東電による東電のための改革にしか映らないだろう。

 本来なら、破綻(はたん)処理すべき企業である。その原点に立ち戻って、国と東電は発電部門と送配電部門の完全な分離といった解体的な将来像を示さなければならない。

 そうした「けじめ」があってこその国民負担であることを忘れないでほしい。