助言

さわやかな秋風の下、どこかで運動会が行われているのか、音楽と歓声が風に乗って聞こえてくる。

運動会というと、人さまざまに思い出があろう。運動が得意だった人には懐かしく思い出されるだろうが、走るのが遅かった人にとっては苦痛以外の何ものでもなく、あんなふうに速く走れたらどんなによいだろうかと、足の速い人を羨んでいた記憶がよみがえってくるかみしれない。

しかし、かえりみれば、速く走れなかったからこそ得たものもあるのではないか。

たとえば今、運動が苦手な子どもの気持ちにぴったりと寄り添って助言をすることができるはずで、それは足が速かった人には難しいことである。

だから他人の才能に心奪われ、自分にないからと卑屈になる必要はない。むしろ、その人の知らないことを知っている、その人が見えない世界が見えることに自信を持てばいい。

劣等感や弱みを抱えた者でなければ見えないもの、感じられないものがあり、それを大切にするところに、人間としての深みが増えていくのではなかろうか。