核廃絶と脱原発―破滅リスクのない世界へ

 広島はきょう、長崎は9日に、被爆から67年を迎える。

 核時代に入った第2次大戦の後、世界戦争は起きていない。それは核抑止の戦略が有効だったから、との意見が根強い。

 だが実は、世界は何度も、核戦争へ転がり落ちそうになったことがある。

 そのひとつが、1983年に起きた。旧ソ連軍の早期警戒システムは、米国が5発の核ミサイルを発射したとの情報を探知した。

 担当官は、米国の先制攻撃なら何百発も飛ばすはずで、誤報の可能性が高いと思った。悩んだすえ、自分の判断を信じ、情報を上部に報告しなかった。後にやはり誤報とわかった。

 米ソが緊張関係にあった冷戦時代だけに、彼の機転がなければ、旧ソ連は核発射ボタンに手をかけたかも知れない。

 放射能禍をもたらした福島での原発事故の背後には、本当に深刻な事態を「想定外」とする慢心があった。核兵器も同じで、そのリスクの軽視は、破滅につながりかねない。

 だからこそ、原爆と原発事故を体験した日本には、歴史的使命がある。核エネルギーによる両方の惨事を知る身として、そのリスクを世界からなくしていく役目である。

■抑止にも「安全神話

 核兵器がある方が世界を安全に保てる。そんな核抑止の「安全神話」に潜む落とし穴を直視したい。

 判断ミスによるリスクに限らない。核拡散が進むいま、地域紛争で使われる恐れもある。

 核武装したインドとパキスタンは、領土やテロ問題などで対立している。パキスタンは政情も安定しない。

 中東では、イスラエルが事実上の核武装国である。敵対するイランが核を持った場合、地域紛争で使われるリスクは南アジアを上回る事態も予想される。

 北東アジアでは北朝鮮が核実験をしている。独裁体制の崩壊などの有事に、自暴自棄や、軍の暴走などで核使用に動く心配は消えない。

 こうしたなか、被爆地からの言葉が、核抑止のプロたちにも、響き始めている。

 核の恐怖をなくす唯一の方法は核をなくすことだ、というメッセージである。

 世界各地の政府や軍の元幹部らによる国際NGO「グローバルゼロ」は、2030年までの核廃絶を提唱する。それを具体化するために、米国の元核戦力部隊指揮官らが、米ロは10年以内に核兵器を8割減らすべきだと提言をまとめた。

 核は、安全保障上の利益より危害の方が大きいからだ。

■隠せぬNPTの限界

 原発利用を核拡散から切り離せるという「安全神話」も、極めて疑わしくなっている。

 世界は、核不拡散条約(NPT)を足場に、核保有国を増やさない政策を重ねてきた。

 核保有国に軍縮義務を課す一方、その他の国には保有を禁じる。非核を堅持すれば、原発など原子力利用で協力を受けられる。これが、約束の基本だ。

 確かにNPTは核拡散の防止で重要な役割を果たしてきた。だが肝心の核軍縮は期待ほどに進んでいない。保有国が核抑止にこだわり続けるなか、同様の力を持とうとする国が相次ぐ。

 NPTのもとで原子力を利用する権利が強調され、これがまた拡散リスクを高めている。核燃料のためのウラン濃縮、プルトニウム抽出施設は軍事目的に転用できるからだ。

 典型例がイランだ。NPT加盟国であることを盾にして、核武装につながりかねないウラン濃縮を進めている。

 核軍縮は進まず、核拡散もなかなか止められない。NPTの限界が見えるなか、原子力利用国を増やすことが得策なのか。悪くすると、NPTが原子力利用を正当化するだけの条約になりはしないか。

■新しい平和と繁栄

 脱原発をグローバルな潮流にする試みが、核不拡散、核廃絶の双方にプラスとなる。そこにもっと着目すべきだ。

 いまこそ、発想を変えるべきときである。

 核兵器を持たず、しかも脱原発を選ぶ国を、再生可能エネルギーや効率的な天然ガス利用などで国際的に支援する。

 非核でいることのメリットを、原発ではない電源による国づくりへと切り替えていく。それを通じて、核廃絶地球温暖化防止の一挙両得をねらうのである。

 非核国の原子力利用を制限する以上、核保有国は軍縮を加速する責任が一層、強まる。原発を多く使う国は、原発依存からの脱却を急がねばならない。

 軍事用であれ民生用であれ、核エネルギーへの依存をできるだけ早くなくすことで、リスクのない平和と繁栄の姿へと変えていく。

 そうした未来像を、核惨事を知る日本から発信してこそ、世界は耳を傾ける。