私小説という人生 秋山駿さん

■文学に「お返し」したかった

 ——愚かなことかもしれぬが、私は、自分のことをもう一度生き直してみよう、という年齢に達したと思った——。冒頭の一文が、潔い。
 「生き直す」とは、秋山駿(あきやましゅん)さんにとっては文学を「読み直す」ことに他ならない。田山花袋「蒲団(ふとん)」に始まる日本の私小説を「初めて読むように」読んだ結実がこの本である。
 「私小説が、日本の小説の大きな可能性を狭くしてしまったと悪口を言われる。しかし、そんな話は成立しない。治安維持法じゃないんだから。小説は自由じゃないか」
 むしろ日本の文学は私小説が開拓した多くのものをもらった、と秋山さんは語る。描写の文章や会話のあり方、そもそも小説とは何か……。
 「普通の人のくよくよした悩みに意味がある、ということ。普通の人の日常をちゃんと書くことで人間の真実、人生の真相に迫ること。これは私小説以前にありますか? 徹底して新しいことなんです」
 そして自分の人生を題材に、誰でも一つは小説が書ける、と読者に思わせる。「すごいことですよ、小説を書かせるなんて。文部科学省が逆立ちしたってできませんよ」
 知的なタンカとでも言いたい語り口の勢いを、評論していく文章にも感じる。花袋から岩野泡鳴、二葉亭四迷樋口一葉島崎藤村正宗白鳥……どの作品とも真剣勝負。70歳過ぎて、と思えない迫力は、円熟味というものを拒むかのようだ。
 「私は自分の生き方として子どもは持たないできたから、その代わりでね。文学という母親に、『いいものは、いい』とお返ししたかったわけなんだ」。本の途中、がんで入院したと、さらりと書いてある。胃を大きく取ったためか「ビールをコップ半分で酔っぱらう」そうで、「飲めない人生」が始まったばかりである。

(新潮社・1785円)