2011-01-01から1年間の記事一覧
もともと、セックスには、三つの側面があると考えられる。その一つには生殖を目的とするもので、他の一つは人間的なつながり、愛などを表現するのであり、そして後の一つは快楽を手段とした、遊びまたは文化として存在している。男女のつながりを考えた場合…
詩や音楽が精神的な化粧品であるように、性もまた精神的な化粧品であると思われる。楽しいセックスができるということは、ダンスや歌がうまかったり、絵に秀れていたり、演技がうまかったりするのと同じようにその人の教養であり、才能でもある。
「いく」という言葉は、結びあい、和合しあっている二人の密着した肉体の中にも、「魂のハイウェイ」のような長い道のりが存在していることを物語っている。
性生活は、それ自体が何かの目的になるものではなく、手段であり状態である。それは愛する方法であり、二人の人間関係の表現形態であったりする。だから「愛しあう事」ひとつとっても、意義があるのである。
性行為は演出され、時には音楽や詩、ときには虚構によって彩られ、それ自体が楽しみであり、消費であり、出会いであるのです。
かつて「性」が人の口に乗ることがタブーだった頃、性は男女にとっての「荒野」として存在していた。そして、そこだけが理性によらぬ「二人だけの、煩悶の解決法」であった。しかし、今ではこの荒野も文化のトラクターですっかり平らかにされてしまい、人は…
愛が深まりすぎると、セックスは純化され、余剰なイメージは生まれにくくなり、生活面での関係の深化とは逆に、セックス面では倦怠が支配する。
一つ一つの曲が聞き手の記憶と馴れ合って世界を作り出してゆく。大体、日付のある表現というのはみんなそうだ。その時俺はどこにいて何をしていたかというアリバイを伴奏しているんだ。歌はみんなブルースに聞こえるよ。要はメロディとハーモニーが心に響く…
悪口をいわれないようなつまらぬ奴にだけはなりたくない。という思いが自分にはある。もちろん、現代にあって、人に悪口をいわれないような人は、無能な人であろう。という想いが根底にあるから。だから、人間っていうのは面白い。
「わかれ道」を通るためには、人は誰でも選ばねばならない。
悲しみはいつも外から見送っていたい。だって涙は人が持っている一番透明な宝石だから。
今や標準語は政治を語る言葉に発展し、人生を語る言葉は方言しかなくなってしまった。という思い込みとかが人には多いにある。
市民権を与えられないスラング、ギャングスターの陰語は、言葉のアウトローである。
何かを表す為に用いられる言語は、何かを隠すためにも用いられる。
一字に光と影があるように、一行にも何通りかの光と影がある。
一体、文学は本の中に挟み込まれているだけなのか?と自問自答することがある。それだけ言葉には重さがある証拠なのだろう。
文字は読み返し聞くことができるが、それも言葉によってである。第一、言葉はアクセントやイントネーションがあるが、時に文字は表現主義者が詩人でもない限り、その大小や意味さえないように聞こえる。
人は言語によってしか自由になることができない。どんな桎梏からの解放も言語化されない限りは、ただの「開放感」であるにとどまっているのだろう。
人は誰でも、一つの言葉、一つの名の記録のために、さすらい続けてゆく動物であり、それゆえドラマでもっとも美しいのは、人が自分の名を名乗る時ではないか。
人類は言葉と出会った時から、思想家である。
旅路の途中で自分がたった一人だということに気がついた。そして、言葉を友人にたとえて懐かしさが溢れ出た。
快楽には、罪悪感という官能的な何かがある。それは、孤独な愉しみと言ってさえ、いいほどのものである。
現代人は過去を感傷するだけは生きてゆけない。人は、過去の力を借りて現在から自分を守ったり、現在を強化することで、過去の幻想から自分を守ったりする。歴史は、「やさしく、美しいものばかり」とは限らない。
ダダダダーン「このように運命は戸を叩く」とベートーベンは語っている。運命の響きは、運命そのものだ。だけれど、本物の運命の方は刻々と歴史を記述している。
ドラマには終わりがあるが、人生には終わりがない。
人生には、答えは無数にある。しかし、質問はたった一度しかできない。
世界はあらかじめ人々によって記憶されつくしてしまっている。だから、「何かを忘れるか」だけが問われている。忘れられ、取り残されたものだけが、形態を獲得する。そして、展示され、美術品と名付けることだけである。
自分のしていることが「迷信」だと、客観的に熟知しながら、因習や悪癖と区別して迷信を愛するところに、人間回復に兆しを見出せるような気がする。
先生という職業は、いわば情報社会における人間相互間のスパイである。
非暴力の思想は、「肉の恐ろしさ」に由来している。とすれば、暴力の思想は肉食の思想である。ビフテキの味の中に、どこか戦争の匂いがする。